春-Spring-
「ほら、起きて、朝だよ」
 春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだ。

 今、私の目の前の白いふかふかベッドで眠っているラン。
「うーん、ハナ……あと5分……」
 頭のてっぺんまで布団をかぶり、もぞもぞと動きながらそんなことをつぶやいた彼。

「……」
 いつものこと、だとは思っているんだけど、ちょっとあきれてしまう。
 私はため息を1つつくと、彼がかぶっている毛布をつかみ、思いっきり引っぺがした。

「おっきろぉー!」
「うわぁぁぁ! 溶けるぅぅぅ!」
 掛け布団をはがされ、敷き布団の上で転げまわる彼。
 そんな彼を無視して、私は掛け布団をその辺に放り投げてテーブルの上に置いてあるペアのマグカップにお湯を注ぐ。
 マグカップの中には2つともすでにインスタントコーヒーの粉を入れていた。

「ったく……せめてもう少し優しく起こしてくれよ……、ハナ」
「私は何回も起こしたって! 起きないランが悪いんだよ!」

 毎朝行われるこのやり取り。
 ねぼすけな同居人を起こすこと。
 それが私の日課なのだ。

「ほら、いつものコーヒー。ランは濃いめがよかったんだよね」
「あ……あぁ、わりぃな」
 彼は申し訳なさそうにマグカップを受け取る。

「まったく、私がいなかったらほんっと、何もできないんだから!」
「ははは、わりぃわりぃ」
「ほら、カバンも用意したから持って。私たち、今日の講義一限からだよ?」

 私のその言葉に、彼は顔を真っ青に変色させ、8時15分を示しているケータイ電話を見て悲鳴を上げた。
「って、うわぁぁ! そうじゃねぇか! 今日一限からだ!」
「ほらほら、行くよ! 今日は暖かいし、走れば10分で着くから!」
「了解了解!」

 アツアツのコーヒーを一気に飲み干した彼は、カバンを持つと私の手を握って走り出した。
「ちょっと!ラン、速いって!」
 私の、悲鳴に似たそんな言葉を残して。

夏-Summer-
 暑い季節がやってきた。
 比較的涼しいといわれる朝でも、窓から差し込む日差しの勢いは強く、私たちの体力をじりじりと奪っていく。

「……あぢー」
 半袖半ズボンの状態で、掛け布団すらかけずにベッドの上に寝転がる彼。
 彼は極端に暑かったり、寒かったりするのが苦手なのだ。

「確かに、朝でも暑いねー、ラン」
「あぁ……。俺、このまま溶けるんじゃねぇかな……」
「もう、昨日もそう言ってたよね!」
「いやー……、今回ばかりはまじでまずい……、あぢー……」
 汗だくの状態で完全に弱っているラン。

「……ちょっと待ってて」
 弱ってる彼を放っておけなくて、私はすっとベッドから起き上がるとキッチンへと向かった。
 マグカップの中にインスタントコーヒーの粉を入れ、冷蔵庫から昨日のうちに冷やしておいた天然水をどぼどぼと注いてよくかき混ぜる。
 そして、そこに大きな氷を2個から3個ほど入れてランのもとへと持っていった。

「ハナ、それは?」
「アイスコーヒーだよ、ラン。即席だけどね」

 私がランにマグカップを渡すと、彼はベッドに座って、ぐいっと一気に飲み干す。
 そして、ふぅっと息を吐き、すっきりとした表情を浮かべてこういった。

「やっぱ、夏はアイスコーヒーに限るな!」
「さっきまであんなにきつそうな表情していたのに、一気に元気になったね」
 私がそう返した時、彼は近くのテーブルにマグカップをおいて 私の手を握り、屈託のない笑顔でこういった。

「やっぱり、ハナは俺のことわかってんな。俺、ハナがいないとダメみたいだ」

「……!」
 一気に顔の温度が上昇する。

「……もう、知らない!」
 急に彼と目が合わせられなくなり、私はぷいっと背中を向けた。
「おーい、どうしたんだよ、俺、何か言ったかー? ハナー。おーい!」

 何も分かってない彼の呼びかけにも、私は背中を向けたまま。
「……恥ずかしいっての、バカ」
 赤い顔を両手で隠し、私は彼に聞こえないようにぽつりとつぶやいた。

秋-Autumn-
 秋。
 私としては散っていく落ち葉を見て、センチメンタルな気分に浸りたいところだが、いまはそれどころではない。

「……まったく、馬鹿ランは」
 ため息を1つ吐く私。

 目の前には、こんもりと盛り上がった布団の山……。
 私は、ゆさゆさと布団の山を揺さぶる。

「ほらー、ラン、起きて、朝だよー」
 布団から重く、ダルそうな声が聞こえてきた。
「うーん……。俺、冬眠するわ……、さみぃ……」
 声の主であるランは、布団の中に丸まって出てこない。
「ふぅ……、しょうがないなぁ」

 私は揺さぶるのをやめると、寝坊助な彼のために最終手段を取ることに。
「おっきろぉー!」
 そう、いつぞやの日のごとく、布団をつかんでそれを思いっきり引っぺがしたのだ。

「……へ?」
 布団の中で丸まっていたランは、寝ぼけ眼であたりをきょろきょろと見まわして両手を必死に動かして布団を探している。
 もうひと押しだ、もうひと押しで彼は起きる。
 そう確信した私は、彼の部屋にある大きな窓を思いっきり開ける。

「ほぉら、起きて!」 
 外の肌寒い空気が部屋に充満する。
「って、さみぃ! ハナ、閉めてくれよ!」
 ようやく目を覚まして、立ち上がった彼。
「起きないランが悪い!」
 私はそうきっぱりと言い切ると、テーブルの上に置いてあったマグカップにインスタントコーヒーとお湯を注ぐ。

「だってよぉ、寒いじゃねぇか……。こんな日は一緒に寝ようぜ? ほら、ここに枕あるぞ」
 ベッドに座り、ポンポンと自分の右側にある枕をたたくラン。

 そんな彼を無視して私はコーヒーを入れ、彼のもとまで持っていった。
「ほら、これ飲んでシャキっとして」
「へいへい……」

 マグカップに口をつけ、息を吹きかけながらゆっくりと飲んでいくラン。
「でも、寒くなったよねぇ……」
 私がマグカップをそばのテーブルに置くと、待ち構えていたかのようにランもテーブルにマグカップを置き、

「お返しじゃぁ!」
 と私の肩をつかんでそのまま布団に倒れこんだ。
「なっ!?」

 何が起こったのか、一瞬分からなくなる私。
 顔がとても熱を帯びているのがわかる。
「これで寝れるな、おやすみ!」
 私の隣に倒れたランはそういうと、目を閉じてすやすやと寝息を立て始めた。

「えぇっ!?私、今日一限!」
 起き上がりたいが、非力な女子の力じゃ起き上がることはできない。

「起きてよぉ!馬鹿ラン!」
 私の悲痛な願いは、叶うことなく秋の風にかき消された。

冬-Winter-

「うー……つらい……」
 身が縮こまってしまう冬。
 私は起きたとたんに、強烈な熱と体のだるさに襲われてしまった。
 熱をはかってみたら39度。完全に風邪をひいてしまっている。

「ったく、体調管理くらいしろよ」
 必死の思いで起こしたランからは、ため息をつかれてしまった。
 普段だったら言い返すところだが、今はそんな気力すら起こらない。

「今日は俺が休みだったからよかったけどさぁ……、俺がいなかったらどうする気だったんだよ、ハナ」
「うるさい……」
 そう返す私の言葉には元気がない。それは自分自身でも実感できた。

「ほら、起きろ。これでも飲め」
 彼はぶっきらぼうに私を起こし、いつものマグカップを私に渡す。中に入っていたのは、湯気が出ている黒い液体。
「……なにこれ?」
「いつものコーヒーだ、これ飲んで元気出せ」
「普通、病人にはコーンスープとか、口当たりがいいやつを渡すんじゃないの?」
「いいから飲め。飲まねぇならもらうぞ」
 ……ブラックは今の私にはきついなぁ。
 そんなことを思いながらゆっくり口をつけると、いつもと違う味がした。

「……甘い」
「だろ?」
 いつも飲んでいるコーヒーの味のはずなのに、今日は格段に甘い。
 これは、もしかして……。

「ちょっと砂糖を多めに入れてみた。お前ならこういう味、好むだろうなって」
「……」

「いつか言っただろ? 『俺、ハナがいないとダメみたい』って。
だから……さ、ずっとお前と一緒にいれるように、しっかりしなきゃって、思ったんだ」
 はにかむ彼の顔は私と同じくらい真っ赤で、声も緊張気味だ。

 ランのその言葉。普段だったら聞き流してしまうのかもしれない。
 だけど、今日は違った。

「ど、どうしたんだよ、ハナ!?」
 ぼろぼろと涙をこぼしながら、私は彼のお腹に抱き付いていた。
「わかんない……わかんないの! でも、うれしいの……!」
 彼の言葉がじんわりと、私の心にしみわたる。

 嬉しい。その一言で胸がいっぱいになる。

 気が付いたら私は赤ん坊のように大声で泣きだしていた。
 彼はそういうと、私の頭を自分のもとに引き寄せ、やさしく撫でた。 

「……ハナ、俺、お前のそばにいて、本当に良かった。
 ハナのそばにいても恥ずかしくないような男になるから、さ」
 いつも自分勝手な彼からは想像もつかないような甘い言葉。
 彼の小さいながらもしっかりとしたつぶやきは、コーヒーに溶ける砂糖のように私の心へ溶けこんでいった。

 10分くらい経った後、大泣きしていた私の涙を拭いてランはそう言う。
「ったく、甘いのが好きなら最初から甘いやつを作ればいいのによぉ……」
 ……違う。私が好きなのは、『甘いコーヒー』じゃない。
 私が好きなのは……。

「……ランが入れてくれた、私だけのコーヒー」
「ん? なんか言ったか?」

 私の精一杯のつぶやきは、どうやら鈍感な彼には聞こえなかったようだ。
 それなら、それでもいい。
 私は、そう思って眠りへとついた。

2度目の春 -Spring-

  「……一年たってもランは変わらないんだから」
 一年前の春と、彼は何も変わっていない。
 寒がりで、暑がりで、自分勝手で……。
 それでいて……。

「それでいて、私の事を想ってくれる大切な人」

 私はくすりと笑うと、ペアのマグカップにインスタントコーヒーとお湯を注ぎ、そして……。

  「おっきろぉ―!」

 大切な彼の掛け布団を、思いっきりはがした。

 しかし、そこにいたのは寝坊助だった彼ではなく……。

「おはよう、ラン」
 しっかり目を覚ました彼だった。

「……え?」
「いつか言ったよな、『ハナのそばにいても恥ずかしくない男になる』って」
 彼は呆然としている私をよそにベッドから降りると、マグカップを持ってきてこう笑いかけた。

「ほら、とっとと飲んでいくぞ。今日一限だろ?」

「……うん」
 今日くらいは引っ張られてもいいかな、彼に。
 私は彼の差し出した、私の暖かいマグカップを受け取った。


 【花 終】