カメレオンコーヒー
地方のとある小さな町で、私と妻は暮らしている。その地は町全体が山々に取り囲まれ、夏は青々と、冬は雪化粧の、それは美しい田舎の景色が広がり、それでありながら中心部では数々の商店が建ち並び、いささかの賑わいをみせていた。しかし過疎化、高齢化の煽りだろうか、活気あった町中のそれらは軒並み店を畳み、シャッター街と揶揄されるほど、閑散とした集落と成り果てた。
そんな風にして町が朽ちゆく中で、息子と娘、二人の子どもたちは就職を皮切りに都市へと離れていき、私たち夫婦は取り残された。否応なしに、今の状態へ身を置くことと相成った。
妻は当初、努めて明るく振舞っていた。「恋人同士だったあの頃みたく仲良くしましょうね」などと笑ってみせた。でも、心の内では寂しがっているのを私は理解しているつもりだった。
だから私は週に一度、町の外れにある中規模のスーパーマーケットへ妻を連れ出した。辛うじて歩いていける距離にあるそこは、特別老夫婦が楽しめるほどのものがあるわけでもなく、比較的来客数の多い週末祭日ですら、催し物さえありはしなかった。従業員もまた我々と似たり寄ったりの年代という始末だ。
それでも二人で少し遠出に、散歩がてらにその店へ赴くことそのものが、妻のみならず私にとっても唯一の楽しみだった。買出しなどは口実で、目的はあってないようなものだった。ようは気晴らしになればなんでも良かったのだ。
――ところが、その楽しみは突如として奪わることとなった。
ある日、妻は私の顔を見るなり「どちら様?」などと言ってのけたのだ。それは誰が見ても、素人目でも解るような、病魔が忍び寄る兆しであった。
その病名がはっきりしたのは、日ごと言動の不審さに拍車がかかる妻に耐えられず、病院へ連れていってのことだ。医師に直接診断を下されて、私はようやく妻が認知症であると認めたのだった。
それからの生活は激変し、私にとって熾烈を極めた。老老介護、とは世間でよく言われていることだ。しかし自分がその立場になってみると、想像以上に大変なことだった。
毎日毎日、何を仕出かすか解らぬ妻に胆を冷やした。老いぼれたこの身で妻の身体を背負わなければならないこともあり、心身ともに過剰な負担を強いられた。
懸命に妻を支えまいと踏ん張ってはみたが、丸二年の月日が経つと、いつしかそんな気持ちはすっかり霞んでしまっていた。
何のために、何処を目指して、こんなにも自分はこの老婆に尽くしているのか。気づけば妻を妻とも思わなくなり、習慣となっていた週に一度の買出しも、言わずもがな日常の営みからは消えていた。生活に必要なものは人目を避けるように、より遠くのスーパーマーケットへと、私一人車で買いに行くようにしていた。変わり果てた妻を、ひた隠しにするようになった。
それからまた、どれだけ経っただろうか。満身創痍の私に追い討ちをかけるようにして、頭を悩ませる出来事が起こった。私が回覧板を届けに少しの間家を留守にすると、妻がどこかへ飛び出していってしまったのだ。
慌てふためく私は、冷や汗をかきながら立ち往生し、消えた妻の行方を頭の中で必死に模索した。警察を呼ぶべきか、介護ヘルパーを呼ぶべきか、捜索願いはどう出したものか、色々な思案が駆け巡っていた。
そんな折、唐突に自宅の電話が鳴り響いた。
気が動転していた私は、震える手で受話器を取った。電話の主は、かつて妻と共に贔屓にしていたスーパーマーケットの店主であった。その店主から発せられた会話の内容に、私は思わず目を見開く。
――奥さんが万引きをして、今事務所で預かっています。
つまり身元引き受けと謝罪に来い、という主旨の連絡であった。不幸中の幸いというのか、妻は予め持たせておいた自宅の連絡先の書かれたバッジ、所謂迷子札のようなものを持って外出していた。それがこのような形で役立つとは遺憾である。
いつかこんな日が来てしまうのではないか、と心積もりが無いわけではなかった。とはいえこうして今、テレビなどでよく目にする他人事が、恐れていたことがいざ我が身にも降りかかってくると、私はすっかり頭が真っ白になっていた。
それでもどうにかこうにか、ありったけの現金や貴重品を鞄に詰め込むと、私は店へ向かった。そして従業員に促されるまま店の事務所へ辿り着くや否や、困り顔で溜息をつく店主と、何かを大事そうに抱える妻の姿が目に飛びこんできた。
私はおずおずと店主に声をかける。店主の話によれば、妻が今手にしているものはインスタントコーヒーの瓶のようだ。会計をせずにそれを店の外へ持ち出そうとしたところを、私を案内してくれた従業員が止めてくれたらしい。
私はすぐさまコーヒーの瓶を店主に返すよう妻に言った。だが、妻はそれを「家にあったものだ」と言ってきかなかった。物を見れば、それはかつて確かに自宅で見かけた品だった。しかし、それはきちんと購入したからこそ備蓄されていたものであり、それをもう嗜まなくなった私たち夫婦には不要なものだった。
何故それを妻は盗もうとしたのか、その真意は解りかねた。が、きっと病気のせいで混乱しているのだと思うと、理不尽な怒りと悲しみが私を襲った。
それを隠したまま妻の病状を店主に伝えると、流石に常軌を逸している妻の言動から察したのか、店主は私の説明を信じ、今回ばかりは商品の買取をすれば警察を呼ぶことはしないと言ってくれた。
安堵し、何度も頭を垂れる私の横で、妻は私が謝罪しているのを不思議そうな、あるいは不服そうな顔でじっと見つめていた。
溢れんばかりの感情が込み上げてきて、その場で泣き崩れそうなのを必死で堪える。そんな私の肩を、店主は慰めるようにぽんと叩いた。
限界に近かった。今回ばかりは、本当に駄目になりそうだった。それでも私は素早く支払いを済ませ、妻を引き連れて店を後にした。誰でもいいから縋りたい己の気持ちを誤魔化すように、足早に家路についた。
それから家に帰った私は、念のために介護ヘルパーを呼ぶことにした。本人は既にけろっとしており、特段暴れ回ったりするでもなく、遠方からわざわざくだらない用件で来てもらうのは申し訳なくも思ったが、今は妻の相手をするのに忍びなかった。
暫くして到着したいつもの中年女性ヘルパーへ今日の出来事を伝えると、ヘルパーは親身になって話を聞いてくれ、それもまた私の心に沁みた。再び助けを乞いたくなりながらも、そんな気持ちを殺しながら気丈を装う私は、ヘルパーの目にはどのように映ったのだろうか。客観的に俯瞰することで、私はなんとか相反する感情から逃れようとしていた。
妻を寝かしつけたヘルパーが帰っていった後、私は居間のテーブルで一人うな垂れた。これから妻とどう接していけばいいのか、どう生きていけばいいのか、いよいよもって解らなくなってしまった。施設に入れようにも金はない。かといって、役所の職員が何をしてくれるわけでもない。何か打開策があっても、役所が費用を持つことは提示してこない。
甘い言葉で救いを匂わせ、その実詐欺を働こうとする輩に引っかかりそうになったこともあった。その時ばかりは、訪ねてくる者全てが敵に見えていた。連絡した子どもたちもどこか余所余所しく、裏切られたように感じた。そうしてすっかり人を信じられなくなっていった。単純なプライドではなく、そんなことの積み重ねが、私に人を頼ることを踏みとどまらせていた。
私一人で、どうにかするしかない。そう思い込むしかなかった。どんなに苦しくても、泣くことすら私には許されていないのだ。泣き言は、許されていないのだ。
そんな風にテーブルを睨みつけていると、不意に足音がした。その方向へ振り返ってみれば、心配そうな顔をした妻が立っていた。眠りについていたはずが、どうやら起きてきてしまったらしい。
「あなた、疲れてるみたい。落ち着くように、コーヒーでも淹れましょうか?」
そう言って、妻はいそいそと台所へ向かおうとする。注ごうとしているコーヒーとは、つまり日中買い取ったそれである。覚えがなくとも仕方のないことだが、悪びれもせず堂々とそれを使おうという姿勢がどうにも私の気持ちを逆撫でした。
「五月蝿い、誰のせいだと思っているんだ! 盗品など飲めるわけがないだろう!」
私はとうとう耐え切れなくなり、妻に向かってがなり立てた。妻が悪いわけではない、それは充分に解っていても、妻の辛さよりも自分の辛さが勝っていると信じて疑わなかった。妻にはもう何も解りはしないのだから、怒鳴り散らしても、それどころか暴力を振るっても構わないとさえ、この時思っていた。
一方で驚いた妻は、激しく動揺しながらいそいそと寝室に引っ込んでいった。咽び泣くような気味の悪い声を上げていたが、私はそれに気を留めるでもなく、そのまま居間のソファーの上に横になった。普段は妻と一緒の部屋で、見守るようにして眠りについたものだが、その日ばかりは距離を置かざるを得なかった。
床についてからも、妻の今後の扱い方についてどのようにしたものか、考えは尽きなかった。自分自身の行く末も引っ括めてのことだ。考えれば考えるほど、不安がもやもやと浮かんできて、私はそれから身を守るように毛布に包まった。
それからほとんど眠ることができず、明朝を迎えた。私は頭の働かぬまま、再び居間のテーブルについた。……あれから妻はどうしたのだろうか。ちゃんと寝れたのだろうか、また飛び出したりはしていないか。僅かに、昨晩の自身の行動を後悔した。
そんなことを考えていると、とうの妻がだしぬけに顔を覗かせた。手には湯気の立った二つのマグカップが握られている。
「はい、あなた。どうぞ」
差し出されたマグカップには、褐色の液体が注がれていた。それは、昨日の騒動の発端となったインスタントコーヒーだった。呆れたことに、妻はコーヒーを私に飲ませることを諦めてはいなかった。
「盗品は飲まんと言わなかったか?」
私はうんざりしながら横目に妻を見やり、それを受け取ることはせず、突っ慳貪に返した。
対して、妻はバツが悪そうに肩を竦めながらも反論し、微笑みかけてくる。
「悪いことをしたとは思っているわ。でも、買い取ったものを捨てるのも勿体無いじゃない?」
どうやら、現状は落ち着いている様子だった。自らの過ちも覚えており、それでもなお物を大切にしようとする妻の言葉は、彼女が元来持つ気立てのそれであって、懐かしさを感じつつも一理あるなと、どこか妙に納得してしまうものだった。
私は渋々、無言でカップを受け取ると一口それを啜った。
――瞬間、走馬灯のように記憶が脳裡を掠めていく。
それは、私がまだ働き盛りの商社マンで、幼少の子どもたちが無邪気にこの地での生活を受け入れていた頃の思い出だ。
私は正直、あまりコーヒーは得意ではない。それでも、妻は毎朝決まって朝食にコーヒーを淹れて寄越した。他人から見れば、それはとてもコーヒーと呼べたものではないくらい、砂糖とミルクで白茶けた飲み物。それを私は気に入っていた。
砂糖もミルクも、昔と何ら変わらない、私好みの分量だった。……そう、妻は私の好きなコーヒーの味を覚えていた。私のためにコーヒーを淹れようとして盗みを働いたのだ。
「昨日は怒鳴ったりして、悪かった」
私の口からは、自然と謝罪の言葉が零れていた。たった一杯のコーヒーが、本当に私の苛立ちや悲しみの全てを、すとんと洗い流してくれたのだ。
妻は先程の作り笑顔ではなく、心から嬉しそうに笑みを浮かべた。このように笑い合うのは何時ぶりだろうか。
気づけば私は涙を落としていた。堪えていたものとは違う雫が、ほろほろと流れた。張り詰めていた感情が、綻んでいた。
――だが、そんな生活は長くは続かなかった。
数週間経った頃だ。妻は突如として倒れた。胸を押さえ、もがき苦しみながら。
救急車へ同乗し、妻の手を強く握り締め、私は思った。
逝かないでくれ。置いていかないでくれ。
しかし私の願いは虚しく、無常にもその日の内に妻の緊急入院は決まり、程なくして病室で静かに息を引き取った。元々患っていた心臓病が進行していたらしく、主治医の話では、これでも持ち堪えていたとのことだ。
抜け殻になった私は、上の空で妻の死後の手続きをした。
妻を介護していた時の方がましにさえ思える倦怠感を覚えた。
一人残された家は、息子たちが巣立っていった時にも増して幾分広く感じ、色の無い殺風景な部屋にはただ暗澹たる沈黙が、さながら私の心持を代弁するかのように影を落とすだけだった。
そんな中ふと思い立って、私はコーヒーを自分で淹れてみる。
味は予期した通りだ。渋く、苦く、香ばしい香りさえも鼻を突き、とても飲めたものではなかった。砂糖やミルクを入れれば良かったのかも知れないが、情けないことに、自分の好みを知っているのは妻だけだった。
この手でその命を終わらせてしまいたいと思ったこともあった。けれども、妻のことをほんの少しでも厄介者と感じた私は愚かだったと、妻がどんな形であれ生きていてくれたからこそ、彩のある人生だったのだと、この時ようやくはっきりと気づくことができた。
あれだけ心動かされるコーヒーを淹れられる人は、もういない。そんな中で、私はあとどれほどの夜明けを迎えることができるのだろうか。
完